ようこそ竹下数塾へ新入生募集!
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少しずつ少しずつ、わかるようになってきた。
atama+で小4Sくんが受験算数の1巡めを完成しようとしている。「旅人算とグラフの応用」に 約8時間取り組んだSくん。声をかけると「少しずつ少しずつわかるようになってきた」とこたえてくれた。一気にわかるようなことをやっているわけではない。この言葉はホンモノだな、と思いました。
観察していると、atama+はSくんに 「考える」「勉強する」「学ぶ」とはどんな行為か 教えていると感じます。
「見たことがある」をわかったと判断していないか。
一方、 本当にわかっているのか? と思うお子さんもいます。確かにドリルはできる。パターンドリルは正解しますが、形を変えたり複数のパターンが絡むとできない。理解 が 習得 を助けますが、習得だけ意識しているお子さんです。
わかったというけれど、見たことがある を わかった と判断しているのではないか? 私は次のように結論しました。
結論 理解はテストでしか測ることができない、それもできるだけ細かく。
- 子どもたちは、理解をテストで測りながら、
- 自分と向かい合って、
- 少しずつ少しずつわかるようになっていくのです。
理想的な理解測定
- 理解はそのあいまいさと入れ替わって、徐々に深まっていく。 その取り組ませ方は、
- 同一問題でよい。100%ぶれなくなるまでテストを反復する。
- 忘れたころに反復する。覚えているうちの反復テストは効果が低い。
- 学習評価は客観評価「他己評価」が望ましい。
- 常に、かつ、さまざまな教材をテストしながら進めるには、自己評価で進めるしかない。 しかし、
- 自己評価は面倒くさがられる。人によって基準がぶれる。
- 効果的に反復を取り入れるのは、容易でない。
atama+はこれを実現する教材です。
atama+を勧める理由
理想的な反復を提供する。
atama+は前述の反復の問題点を半分以上解決する。
アウトプット中心で、インプットは必要なことだけ。過不足なく無駄がない。理解しているかどうか細かくテストで確認し、苦手を診断し復習しながら進める。参考書を自学習するより綿密な、リズムがよい学習である。
習得を「能力の問題ではなく時間の問題」にする。
「合格するまで続ければいいんだ」という次元まで落とし込んでくれる。学習のステップがとても細かい。だから、できなかったのは、能力のせいでなく、できるまでやってこなかったせいだと気づく。
塾で勉強する子たちはみんな大学進学志望だ。要求される学力のレベルは高い。「合格するまで続ければいいんだ」というマインドセットはたいへん貴重だ。
習得にかかる時間を半分にする。
これは事実だ。ただし。学校の試験や受験に習得が間に合うように、早期から取り組ませる、学習の習慣化が肝要だ。atama+で学習を続けると、習得速度は必ず加速する。
自分自身と向かい合わせる。
atama+は反復の問題点の半分以上を解決すると述べた。残りは何か?客観的な「自己評価力」をいかに育むかだ。受験で言えば大学の数だけ取り組む教材は異なる。他人の目で自分の学習を評価することは必須だ。
2022年度の「全員合格」は2021年から学び放題となったatama+で徹底的に勉強してきた成果でした。
atama+で合格するにはテストの全問正解を要求されます。自分の考え、答案にミスはないか、常に振り返らなければなりません。半年1年と続ければそれが習慣化します。いつも他人の目で自分の取り組みを評価するようになります。2022度の「全員合格」は、過去問題を客観的に自己評価しながら反復演習した成果、と分析すしています。
「知ってるつもり 無知の科学」
この記事では、なぜ私はatama+を勧めるのか、反復の観点でその理由と、「知ってるつもり 無知の科学」から、理解の錯覚についてお伝えします。
この本に 「理解の錯覚」 という言葉が出てくる。
- 理解の錯覚が起こるのは、人は「見たことがある」あるいは「知っている」を、「理解している」と混同するためだ。
- ある文章をざっと読むと、次はそれを見たときには「見たことがある」と感じる。(中略) この「見たことがある」という感覚は、実際に資料を理解していることと混同しやすい。
- ある文章を理解している、あるいは空で記憶しているというのと、その意味を本当に理解しているのとはまったく別だ。
- 文章を理解するには、意識的に丁寧に読み込む必要がある。筆者の意図を理解しなければならない。どうやらそれは誰にとっても当たり前ではないらしい。
- 多くの学生が精読と斜め読みを混同している。(p235,236)
九大数学過去問11年ぶんを反復演習するKくんとIさん。彼らの答案を点検すると、角度に方向(プラスマイナス)があると理解していなかった。ふたりともこの問題は2巡めのはず。
のちに九州大薬学部、熊本大医学部・放射線に進学する彼らでさえも、「わかったつもり」が残っている。それを理解させるにはテストし少しずつ少しずつ気づかせるしかない。
冒頭で紹介した、小4Sくんが「少しずつ少しずつわかるようになってきた」という言葉がうれしかったのは、自分自身と向かい合わないと出てくる言葉ではない、からである。atama+を通して学習の本質に触れたのですね。