2017年8月24日木曜日
勉強が理不尽なことに耐える精神性を養う
「理不尽耐性」・・・理不尽なことに耐える。大人の社会ではけっこう必要なことだと思いますが、それに関する記述です。
「無敵の思考」ひろゆき著、偉人達のブレイクスルー勉強術」齋藤孝著、から引用します。
勉強する意味のひとつに、「理不尽なことに耐える精神性を養うことがある」と言っているとわたしは解釈しています。
◆「無敵の思考」ひろゆき著 大和書房
p192
役に立たないものを無理に覚える能力というのは重要です。
(学生のころ)当時は「こんなことやって何の意味があるんだ」と思っていましたがね。
「意味がないことをやる」ということが重要であるというのに気付くのには、少し時間がかかるものです。
僕はわりと人の「学歴」をみます。学歴が低いからダメということではなく、その背景として受験勉強をやってくれていることは、ある程度その人の担保になります。
偏差値がそこそこの学校に行っている人であれば、少なくとも参考書を理解する能力を持っている証明になるわけです。
そういう人は「理不尽耐性」も高いですしね。
◆「偉人達のブレイクスルー勉強術」 齋藤孝 文芸春秋
p142
就職試験のとき、運動部でハードな練習を耐え抜いてきた経験がある人は、根性があって仕事でもがんばり抜けるだろうと期待されます。以前は確かにそうだったのですが、最近私はそこに若干疑問をいだくようになりました。
部活のことで本当にいっしょうけんめいになれるのに、その力が勉強面で出せない、ほかの面で出せない、ほかの面で活きてこない人が少なからずいるからです。
粘り強さがあるだろうと見込まれて採用されて、仕事になったら「部活と違いますからできません」と言って放り出されたら困る。
それではスポーツに心血を注いだ本当の意味がないんじゃないかなと思います。
いろいろな局面で困難を乗り越えられる、何事においてもちゃんと向き合える。そういう精神性を養うのが勉強することの意味です。