はじめに
君はこのページを自慢話と感じるかもしれない。違うんだなー。
君が親になったとき、子どもをどう育てたらいいか悩むと思う。特に君の年頃は難しい(笑)。
塾の先生として君に関わった私が、自分の子にはどう関わったか書いておく。
伝えたい明確な言葉はない。ただ君に「ふりかえってみたら?」とすすめる。
10代がふりかえるべきは「好きで得意なことを、やっているか選んでいるか」だ。
将来○○になるとこたえる君はすごいぞ。でも15年後の君は「今はない仕事」に就く可能性も高い。
心配するな、なるようになる。
「好きで得意なことを、やっている選んでいる」ことが、15年後の君の背中を押してくれる。
君は人生100年を生きる。
この記事で紹介する次女も、長女も長女の夫も、長男も転職した。
塾の教材 atama+の私の担当者たち(東大・慶應・早稲田・早稲田・東大)も転職してきて私と出会い、転職して去っていった。
彼らに共通するキーワードは、スキルアップ、いや、スキルチェンジか。
自分は何が好きで得意かわかっていて「ここまでなら頑張れそうだな」とやってみる。そんなふりかえりができないと、向上心だけでは消耗する。
20代30代、・・・、60代70代・・とスキルチェンジを前提で、頭と体を鍛えておきなさい。
だって変化のスピードが早すぎるもん。
このページでは、私の次女が 好きで得意を選んだ結果回りはじめた人生の、10才から23才までを父親の目で記す。ではレッツ・ゴー
何を選択するかだ
ホグワーツ校長 アルバス・ダンブルドア
留学?どうせ無理
長崎市の予備校の年間にかかる費用は約150万(2年前の話)。
現役で進学しよう!その150万で大学で1年間交換留学しよう!と提案する。
保護者さまはどう思うだろう? 留学なんてとても無理、ですか?
長女は早稲田在学中に1年間スウェーデンの大学に留学した。休みにはヨーロッパ中を一人旅。連絡はスカイプ(今ならzoom)で。親の心配は東京もヨーロッパも変わらない。
コロナ禍の収束で大学の交換留学制度は再開する。レッツ・トライ!留学先が提携大学だったら、授業料はたいてい不要だ。
いろんな人の生き方や考え方を知り、異国の価値観のなかで、若い人たちに、自分をふりかえってほしい。
私の2人の娘(長崎西・長崎東)はロータリークラブの交換留学制度に応募し、高2の1年間、カナダのニューブランズウィック州の州都フレデリクトンに派遣された。
フレデリクトンは英語とフランス語が公用語。生活圏に日本人は自分ひとり。留学生だからと特別扱いされない。
長女は世界中から集まった同世代の若者30名と1ヶ月間カナダ横断旅行した。次女は4つのホストファミリーで生活し、他国の、仕事や家族に対する価値観に影響を受けた。2人とも心身を鍛えられ、高2で過ごしたこの1年が人生を方向づけた。
次女の留学レポートから(高2)
留学前はただ勉強することに追い込まれてその場しのぎの勉強をし、新しいものを受け付けずに殻の中に閉じこもっている状態でした。しかし留学をして世界を見てきて、もっと知りたい、学びたいと思うようになり、学ぶことも楽しいことの一つだと捉えることができるようになりました。
すると、心に余裕もできました。最近は毎日の学校生活も、課題が多い休日も家族との時間を楽しんでいます。
Love it,and Enjoy it.
人生を楽しむ。愛する気持ち を持ち、表現する。「自分を愛さない限り美しくなれないし、何も成し遂げることはできない。」自分を信じ続けることで、可能性が広がっていく。
学びは、お金にかわる。
留学、無理ではなかった
当時、私は高校教員。私の経済力で留学させるなんて、とても無理。高1の長女もどうせ無理とあきらめていた。
長女はせめて話を聞きたいと喜々津にステイしていた交換留学生を訪ねた。速攻で我が家の留学生受け入れが決まった。それしか留学するチャンスがなかったからだ。
1ヶ月も経たないうちに留学は決まった。長女の行動が交換留学生を募集中のロータリークラブの目にとまったのだ。
高2、長女はフレデリクトンへ旅立ち、我が家にジョンが来た。
スカイプで故郷フレデリクトンの次女と会話
ロータリー佐賀・長崎地区
「留学なんてどうせ無理」 が一変した。
身近に善意があり、その善意の輪に入っていくことで、困難のハードルが下がることを家族は知った。
誰かの役に立つことを実行しよう。君のそれまでの学びや経験の提供が、お金にかわって、君に新たな出会いをもたらしてくれる。
憧れる
長女が小学生の頃読んだハリーポッターを、次女は小5で全巻読んだ。
ロンドン キングスクロス駅の「9と3/4番線」はホグワーツ特急の乗り口だけでない。姉妹を世界へ飛びこませた、憧れを育んでくれたプラットホームだ。
イギリスに興味を持ち、ビートルズ、クイーンにハマった。「クィーンノート」に歌詞と和訳をまとめた。フレディマーキュリーの歌声を聴こえる通りにマネして歌った。歌いたい。原語で理解したい。それが英語への興味の始まりだった。
人生が動き出す
小5のとき、おくんちでオランダ船を一緒に演じた友だちと仲良くなり、長崎東中へ進学したいと思った。
本を読むにしても、洋楽を歌うにしても、受験勉強するにしても練習は必要。やりたいことをやっているのだからそれは苦労ではない。でしょう?笑
長崎東高1のとき校内懸賞論文コンクールがあった。優秀者にはパリ・ロンドン8日間の旅。スポンサーは校医の大坪先生。ロンドンに行きたい!その一心で、雲仙市に来ている海外からの訓練実習生を取材した。5人のうちの1人に選ばれた。
学校便りより抜粋(高1)
憧れのパリ・ロンドンへの8日間の研修旅行は、私にとって一生忘れることのできない、素晴らしい経験となりました。石造りの家や道、建物や街角にある彫刻、さわやかな空気、そして周囲の人すべてが外国人という環境に、私は日本人と西洋人の違いや芸術作品の素晴らしさ、自分で実際に見ることの大切さを学びました。
カナダ留学 高2
帰国前に、ボストン・ニューヨークを1週間旅した。(高2)
facebookからNY二日目。17キロを歩き7.8回地下鉄を利用しました。あれこれいうと親子げんかになるので経路は娘にまかせ。
ミッドタウンから地下鉄でハーレムの教会にゴスペルを聴きに。トランス状態とはこんな感じか、というぐらい激しく踊り祈る信者の人たちがいた。125ストリートの端から端までセントラルパークと平行して移動、 教会では正装ですが歩道には格好も様々でゴミが舞い現地の人の間を通るときは怖かったです。
次に、隣接するコロンビア大学を見学。オバマ大統領を輩出しています。IDがないと建物の中には入れませんでしたがハーバード同様、「知」への憧れを強く持ちました。残念ながら私たちが教育と呼ぶ、受験に傾注したhow to指導の延長にこの大学への進学は望めません。「知」への強い探究心を持つ若者が集っている印象を持ちました。
地下鉄で72ストリートへ。ジョンレノンが住んだダコタハウス、セントラルパークに入りストロベリーフィールズフォーエバーを経てミッドタウンへ散歩。人々がゆっくりと日曜の午後を楽しむ広大な緑の向こうに見える摩天楼は感動的でした。
公園を抜けるとアップルストアがあります。ここにも「知」の演出がありました。1時間半ほど過ごしたあとグランドセントラルステーション、国連、地下鉄でさらに南下して自由の女神、徒歩でグランドゼロ、ウォール街を歩きました。人間の広大な知性とともに「強い意思」「正義を貫く意思」それを支えるのは「愛」だと感じました。
地下鉄でペンステーションへ。沈む夕日と赤く染まるエンパイアステートビルが私たちを歓迎しているようで感動的でした。ブロードウェイを歩いて上り昨夜歩いたタイムズスクエアへ。列をなして熱狂するブラジル人、昨夜に増して混雑する街を抜けホテルへたどり着きました。
これが17キロの行程です。娘はもう歩けないと言っていました。今日はメトロポリタンを1日中見学、K君の誘いでエンパイアステートビル75階のオフィスにお邪魔する予定です。
具体的に行動しないと、目標立てても意味がない。
大学を見て回る
かつて私は、諫早市の子弟が利用できる諫早寮(15,000円!/月)を中心に通学可能か、大学を見て回っている。早稲田大、東大、お茶の水大、一橋大、国際基督教大、上智大、法政大、中央大、立教大、千葉大・・・。
長崎大医学部からハーバード大へ身内と生徒さんが留学していたのでボストンを訪ねた。ニューヨーク州立大に生徒さんが進学したり、コロンビア大を勧められたのでNYへ行った。
最終的に早稲田大法学部へ進んだのは、早稲田の提携留学先にコロンビア大があったから。
京都大、九州大、筑波大は卒塾生を訪ね、次女も一緒に見て回った。
次女は長崎東中→長崎東高→早稲田大法 と進んだ。しかし就活でうまくいかず、経営大学院(MBA)への進学を考える。
困難が人を鍛える。
慶應大MBAに合格。授業料は年間250万。(何考えているんだ!とは思ったが、)私は振り込んだ😭。幸いに京都大MBAに合格、お金は戻って来た(助かった!)😄。
次女は親に経済的負担をかけないよう気がけていたし、自分のことで手抜きする子ではない。持っている力はすべてを注ぎ込んで勉強した。それは、必死で、とか、死に物狂いで(=死ぬ覚悟で)と形容できるかもしれない。
注:もちろん死んではいけません!!体や心が傷つくようであれば本末転倒です!!
法学部なので経営は専門外だ。「答案用紙はすべて埋めた」、「早稲田の図書館で早稲田の経済学部の教授の最新の研究書を片っ端から読んで理解した」と言う。
受験倍率8.5倍をよく突破できたねとねぎらうと、「長崎東での勉強に耐えたからね」 と笑っていた。
高校時代、帰宅しても食事と入浴以外ずっと宿題していた。塾の生徒さんたちがいるので夕食は台所。生徒さんが帰ってから入浴。その後は就寝するまで勉強だ。朝7:10喜々津発のJRに乗る。睡眠をとらないと体が持たない。高校時代は、そんな生活が続き「東高の近くにアパート借りたい!」と嘆いていた。
法学部はレポートの量が半端ない。次女が法学部に行きたいと言い出したとき、ハーバード・ロー・スクールのエリート学生たちが勉学に励む姿を描く青春映画 「ペーパーチェイス」を見せていた。大丈夫ね?と意思を問うていた。だからハーバードの教室も見学してきた。
早稲田に進学、東京で一緒に夕食した日のこと。「スタバで勉強して帰る」と言う。いつまでやるの?と思うぐらいずっと勉強していた。さながら「ペーパーチェイス」の世界だ。
そんな日常が、次女の、やり遂げる力を鍛えた。
参考までに京都大MBAの入試問題。これ見た上で「やってみる」と、チャレンジ決めたはず。どんな問題でも実際の入試問題で得点できなきゃ落ちるから。(当たり前)
次女の写真、笑顔がいいでしょう? 粘り強さ・根性で私は敵わない。君も敵わない、かも。
さて君はこの話から何を学んでくれたかな? 頭のよか人はよかねーと思った人はアウト!退場。
いろんな生き方、能力がある。嫌いなことばかりしたくないだろうし、自分にとって好きで得意なことをやった方が面白いだろう。私だって70、80才までスキルチェンジするために新たな知見を本やYouTubeで学んでいる。今君が読んでいるこのホームページも独学でhtml.cssをいじってる。好きだから続く。好きだから得意になろうとする。
人生を決めるのは、何を選んだかと、粘り強さなんだよ。
- 長女:西諫早中→長崎西→早稲田大政経(スウェーデン留学)→就職・結婚・出産→一橋大公共政策大学院→転職
- 次女:長崎東中→長崎東→早稲田大法→京都大経営大学院→就職→転職