2023.3.17、私の長女の一橋大学卒業式。写真はママさん大学院生の長女の家族と、次女と私たち夫婦です。
後に続く長女の話は、
高校教師を父親に持つ女子高生が、自分の憧れや目標を実現するために、頑張った話
としてお読みください。
じまん話に読めたらごめんなさい。塾の生徒さんたちに、チャンスは身近にあると伝えたいのです。
西諫早中から長崎西高へ。長女は今、東京のど真ん中で頑張っています。
長崎西から早稲田へ
高1長女の決断
長崎西高1年のとき担任の先生から「マスコミ関係に進みたいなら早稲田だな」「早稲田には返還不要の奨学金制度がある」と聞いて長女は早稲田をめざした。
「うちの経済力では私立大なんてとても無理、勉強を頑張るしかない。」高1長女はそう決断した。
勉強で結果を出す。奨学金受給
長女の早稲田志望に対し「経済的に私立大は無理だから」と父親の私は言えなかった。勉強を頑張っていたからだ。
第1志望の早稲田大政経学部に推薦入試で合格。進学して長女は本当に返還不要の奨学金(たしか40万円)を2回受給した。
留学
高2の時ロータリークラブの交換留学制度で1年間カナダのニューブランズウイックへ留学した。世界中から集まった約30名の留学生とともに1ヶ月かけてカナダ大陸横断鉄道で旅した。
この留学は、ちょっとしたきっかけで実現した。
「うちの経済力では留学なんてとても無理、せめて留学生と話したい」と、長女は多良見町にホームステイ中の留学生を訪ねた。ホストから「留学したいなら申し込んでみては」とロータリークラブを紹介され、なんとこの日から3ヶ月後には留学が決定する。急展開だった。
我が家もロータリークラブのホストとして、カナダやフランスから留学生を預かった。縁がないと思っていた留学が一気に身近になり、次女も1年間カナダに留学した。県の支援もありほとんど費用はかからなかった。
なぜ外に出すのか
私は田舎の小さな自営業の家で育ったので家族旅行の記憶がない。九州から出たのは高校の修学旅行が初めて。「無知」が自分の可能性をせばめていたと、教員になって痛感した。だから自分の子どもたちは積極的に外に出した。
好きなことを仕事にしなさい。
我が家には大原則がある。それは「好きなことを仕事にしなさい」。つまり、時間が経つのも忘れて、いつまでも繰り返してやれる、得意なこと、全然苦にならないことを仕事にしなさい。すると毎日はとても楽、自由だよねと。これこそ「適性がある」状態だからだ。
できるレベルで、繰り返しやっていると、そのうち上手くなって人の役に立つようになる。それが楽しくなって、本気で上手くなろうとする。いよいよ人の役に立って、ますます上手くなる。
仕事では、何ができるか、がすべて。好きで得意な方面で、尖る(とがる)、際立つまでやる、だけだ。
早稲田から新聞記者
長崎に生まれ育ったこと、祖母が被曝者だったことから長女は平和問題に関心をもち、新聞記者になる。2017年核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)へのノーベル平和賞受賞式など海外取材も数回行った。親の目から見てたいへん活躍していた。
出産、育休を機に、一橋大学 国際・公共政策大学院へ
長女にとって、研究対象を深く学ぶことは、全然苦にならない。この先に明確な目標があり、大学院はそれを達成するための途中経過に過ぎない。私はそれを知っているので、ゼミ仲間で先生を囲んで写真を撮る様子を見ていると、不覚にも涙してしまった。
私が塾で取り組ませていること
できるレベルで、繰り返しやっていると、そのうち上手くなって人の役に立つようになる。それが楽しくなって、本気で上手くなろうとする。いよいよ人の役に立って、ますます上手くなる。
私は塾でこの体験に取り組ませている。
難しいことで取り組む必要はない。その子にあったレベルでよし。苦手であっても繰り返すうちにできるようになる。その経験を小さいうちから積む。いつか習得しなければいけない技量や思考にぶつかったとき、時間をかけさえすればできるようになると、自信を持って取り組んでくれるだろう。
そんな期待がある。
「自信とは、まちがいなく上手くやることが出来る自己評価」だ。竹下数塾は、「振り返る・反復する・やり抜く」ことで学ぶ力をつけ、自信を育てようとしている。