2017年7月25日火曜日

学校ってなんだろう。 「14歳から社会学」 宮台真司

「14歳から社会学」 宮台真司著 ちくま文庫


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竹下数塾通信2017.07.19
http://isahayajuku.blogspot.jp/
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「学校」ってなんだろう。

メッセージ:
「学校」は他者と交流する中で、「試行錯誤」を繰り返し、経験値を高め、「自分は大丈夫」という「尊厳」を得ていく場所だ。

長文お許しください。

県内の中学校で辛い事件がありました。

学校ってなんでしょう。

文科省なら「生きる力」を育む場かもしれません。そう言われても私はピンときません。「生きる力」とはなにか、「自由である」とはどんなことか、私が納得した言葉を後半で紹介します。

生業(なりわい)である学習塾業で、私は自分の興味・関心・技術・経験・教育的信条をフルに活かせるように仕事をブラッシュアップしています。その結果、高校教諭時代は思いもしなかった価値を子どもたちに提供できるようになりました。

だから、子どもたち自身が自分の興味・関心・特技に気づけたらいいな、と思うのです。

自分の可能性に気づいた子たちは小学生でさえ猛烈に勉強します。


自分の可能性を追求しようとすると、勉強しなければならないことに気づきます。

気づけるように、周りの大人がもっと関わっていけたらいいな。
保護者さまはもちろん、おじいさまもおばあさま、となり近所のおじさんおばさん、そして学校の先生も竹下も!

そんな学校、塾であったらいいなと考えます。

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「生きる力」とは

『デフレの正体 -経済は「人口の波」で動く 藻谷浩介著』p249 から。

普通に生きて十分に稼いで楽しく家族と暮らしながら人とコミュニケートし力づけ、社会にも貢献していく力、つまり「生きる力」のことです。

「自由である」とは

『14歳からの社会学 - これからの社会を生きる君に 宮台真司著』から

p22
選択肢を知っていて、選ぶことを邪魔するものがなく、選ぶ能力があることが「自由」だといったよね。自由であるにも、能力が必要だということだ。

能力によって自由を楽しめる度合いが違ってくる。これは本当のことだ。でも能力が乏しいからといって過剰にみじめにならず、自分がそこにいてもいいんだ、自分は生きていていいんだ、自分は他者から受け入れられる存在だ、と思える。それが「尊厳」ということだ。

p24
君が他者に対して自由にふるまえるためには「尊厳」が必要だ。わかるだろうか。

「尊厳値」が低ければ、他者の前では思い通りにふるまえない。能力が理由であれ、性格が理由であれ、「自分は馬鹿にされるんじゃないか」「自分は許されない存在なんじゃないか」と思わざるを得ない状態で、他者の前で堂々とするのは難しい。

自由であるためには「尊厳」が必要なんだ。「尊厳」は、君以外の人(他者)から「承認」される経験を必要としている。逆にたどれば、他者から「承認」された経験があるからこそ、「尊厳」(「失敗しても大丈夫」感)が得られ、それをベースに君は自由にふるまえるんだ。

p25★★次の部分↓

子どもが大人になるとは、他者と交流する中で「試行錯誤」を繰り返し、「みんなはこういうことを『承認するんだ』ということを学んで経験値を高め、「自分は大丈夫」という「尊厳」を得ていくことだ。